常識

昭和の時代の常識は大半の人の共通認識として成り立っていたから、変な考えも変な行動を起こす人が少なかったように思うし人間関係もうまく行っていたように思う。
しかし現代の常識は個々の個性とか個々によって常識が違うから、常識は100人いたら100の常識が存在するようになったから、何が常識か分からなくなったし常識という言葉自体も使えなくなった。
何を言いたいかというと、常識という共通の認識がなくなってしまったから、良かれとやっていることさえも非常識となることがあると言いことだ。
人との関係が昔のようにうまくいかないおかしな日本になってしまいましたね。
これまでの常識は一般的な常識とある一定の範囲の中でも常識に分かれていた。
ある一定の範囲とは学校では先生が常識の中心で、クラブは監督の常識が中心であったが、今は学校でも保護者の常識がまかり通り、一番正しい常識が各保護者になってしまった。
だから、学校もスポーツの場でも正しく子供たちを導いて上げられない本当に残念な時代になりました。
損しているのは今の子供達です。

2022年11月29日